きらりができるまで

きらりができるまで < きらりよしじまストーリー

第1話 きっかけは行財政改革

写真:自治会長連絡協議会と社会教育振興会(きらりの前身団体)協議の様子

1996年から2006年まで、山形県川西町は財政的に非常に厳しい状況にあり、町が破綻してしまうのではないかという危惧がありました。

きっかけは川西町の行財政改革

2001年には、財政逼迫(ひっぱく)による行財政改革として、7つの地区(小学校区)公民館の「公設民営化」策を決定しました。当初予定では2003年からの施行でしたが、一年前倒しで行うことが町民に周知されました。

その年の秋、町長が7地区を訪れ住民への説明会を開催しました。吉島地区では当時の自治会長連絡協議会と社会教育振興会(きらりの前身団体。以下「振興会」という。)において、町の対応について協議した結果、説明会の場で次のようなことを町に訴えました。

  • 厳しい財政状況の中で公民館の民営化については「やむなし」である
  • 公民館の役職の任命を行政でおこなうことは、住民の主体性を尊重するとは言えないのではないか
  • 地区公民館が役場の「天下り先」になる可能性もあるのではないか
  • 吉島地区として、民営化される施設を運営できる体制が整っていない
  • 段階を踏んで、できる地区から取り組んでもいいのではないか

しかし、町は2002年4月からこの改革を予定通り実施しました。